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教皇フランシスコ、「第30回世界病者の日」に向けメッセージ 教皇フランシスコ、「第30回世界病者の日」に向けメッセージ  (Vatican Media)

「御父のように憐れみ深く」教皇、「世界病者の日」に向けて

カトリック教会の「第30回世界病者の日」に向け、教皇フランシスコはメッセージをおくられた。

 2022年度「世界病者の日」に向け、教皇フランシスコはメッセージをおくられた。

 カトリック教会は、毎年2月11日の「ルルドの聖母」の日に「世界病者の日」を記念する。教皇聖ヨハネ・パウロ2世の使徒的書簡「サルヴィフチ・ドローリス - 苦しみのキリスト教意味」(1984年)の精神のもとに1993年に創設されたこの日は、病者がふさわしい援助を受けられるよう、また苦しんでいる人が自らの苦しみの意味を受け止めていくための必要な助けを得られるように祈ると共に、病者とそのケアにあたる人々への関心を教会内はもとより社会に広く呼びかけることを目的としている。

 今年で30回目を迎える「世界病者の日」に向け、教皇フランシスコは、「『あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい』(ルカ6,36)− 愛の歩みにおいて苦しむ人に寄り添う(仮訳)」をテーマにしたメッセージを発表された。

 この冒頭で、教皇は、第30回目の「世界病者の日」に、ペルーのアレキパで記念ミサがとり行われる予定であったが、パンデミックの影響で、バチカンの聖ペトロ大聖堂でミサが捧げられることになった、と告げている。

 教皇はこの「世界病者の日」を機会に、いかなる時も父の愛をもって子らを見つめる「憐れみ豊かな神」(エフェソ2,4)に眼差しを向けるように招かれた。神は父の強さと母の優しさをもってわたしたちに配慮され、聖霊において新しいいのちを与えることを望まれる、と教皇は述べている。

 憐れみ深い御父の愛の至上の証人は、その御一人子イエスである。福音書には、イエスと病者との出会いがいかにたくさん語られていることだろうか、と教皇は振り返る。苦しみは人を孤立させ、その孤立の中から他者への嘆願が生まれる。御父の憐れみそのものであるイエスに倣い、神の愛の証し人として病者に寄り添い、慰めの油と希望のぶどう酒をその傷に注ぐことが重要である、と教皇は説く。

 教皇は、御父のように憐れみ深い者となるようにとのイエスの招きは、とりわけ医療関係者にとって特別な意味を持つもの、と指摘。医師や、看護師、医療技師、ボランティアなど、「苦しむキリストの肉に触れる」これらの人々の手は、御父の憐れみ深い御手のしるしとなることができる、と語っている。

 今日の医療技術の進歩を神に感謝する一方で、教皇は、一人ひとりの病者の尊厳や脆さを忘れてはならない、と説く。病者は常にその人の病気そのものよりも大切である、と教皇は述べ、それゆえあらゆる治療アプローチにおいて患者の声や事情や不安を考慮しないことがあってはならない、と注意している。

 たとえ回復の見込みがない時でも、ケアや、慰め、寄り添いは常に可能である。医療関係者が病者に耳を傾け、良い関係を築くことができるような、育成プロセスが望まれる。

 「世界病者の日」は、ケアを行う場所に対する関心を高める機会でもある。キリスト教共同体は世紀にわたり「善きサマリア人の宿屋」として、あらゆる病者を受け入れる施設を設けてきた。カトリックの医療機関の重要さを再確認するとともに、この大切な宝を守り、支えていかなくてはならない、と教皇は強調している。

 苦しむ貧しい人々に対する最悪の差別は霊的な助けの欠如であり、祝福や、御言葉、秘跡を通してこれらの人々に神の寄り添いを伝える必要がある。

 病者への寄り添いと司牧的ケアは、一部の人々の務めではなく、すべてのキリストの弟子の務めである。どれだけの病者やお年寄りたちが、人々の訪問を待っていることだろうか。「お前たちは、わたしが病気のときに見舞ってくれた」(参照 マタイ25,36)というイエスの言葉を胸にしつつ、病者に慰めをもたらすことは、すべてのキリスト者の義務である、と教皇は呼びかける。

 教皇は、病者とその家族が世の苦しみを背負うキリストに一致し、意味と慰めと信頼を見出すことができるようにと、聖母の取り次ぎを祈っている。そして、すべての医療関係者が豊かな憐れみをもって、病者らに適切な治療と兄弟的な寄り添いを与えることができるようにと祈願されている。

 

07 1月 2022, 18:16