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教皇フランシスコ、2022年1月6日「主の公現」の祭日のミサで バチカン・聖ペトロ大聖堂 教皇フランシスコ、2022年1月6日「主の公現」の祭日のミサで バチカン・聖ペトロ大聖堂  (Vatican Media)

教皇「東方の博士たちのようにイエスに向かって歩もう」

教皇フランシスコは、「主の公現」の祭日、バチカンでミサを司式された。

 カトリック教会の典礼暦は、1月6日、「主の公現」を祝った。

 「主の公現」の祭日は、ベツレヘムの幼子イエスへの東方三博士の訪問や、ヨルダン川でのイエスの洗礼、カナの婚礼におけるイエスの最初の奇跡など、キリストが公に人々の前に姿を現し、キリストを通し神の栄光がすべての人に現れたことを記念するもの。

 「主の公現」は1月6日に祝われるが、日本の教会では、1月2日から1月8日の間にある主日(日曜日)に祝うため、2022年度は1月2日(日)に記念された。

 教皇フランシスコは、6日午前、バチカンの聖ペトロ大聖堂でミサをとり行われた。

 教皇は、ベツレヘムに向かう東方の博士たちのように、わたしたちもまたイエスに向けて歩もうと、次のような要旨の説教を行われた。

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 東方の博士たちはベツレヘムへと旅した。彼らの旅は、人生の空を照らし、真の喜びへと導く極星、イエスに向かって歩むようにと、わたしたちにも呼びかけている。

 では、どこから博士たちは出発したのか、何が彼らを旅立たせたのだろうか。彼らは名声ある裕福な占星術の学者たちだった。それにも関わらず、彼らは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(マタイ2,2)と言い、その心は光に飢え渇いていた。

 彼らを旅立たせたこの健全な焦燥感はどこから生まれたのか。それは「望み」からである。彼らの隠された力、それは「望む」ことができる力であった。「望む」とは、自分の中に燃える火を生き生きと保つこと、すぐに手に入るもの、目に見えるものを超えた何かを求めること、人生を自分を超越した神秘として受け入れることである。

 博士たちにとってそうであったように、わたしたちにとっても、人生の旅と信仰の歩みには、「望み」が、「内的な飛躍」が必要である。教会もまたそれを必要としている。自分の「信仰の旅」は、今どのような状態にあるのか、自問してみよう。ありきたりの宗教心から長く抜け出せないでいるのか、それはもう心を熱くすることも、人生を変えることもないのか、自分に尋ねてみよう。

 わたしたちの人生や社会における信仰の危機、それは神に対する追求心の消滅、神の御旨を問うことなく、習慣的なその日暮らしに満足する霊的な怠惰と関係している。わたしたちは、「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと思い悩み」(参照 マタイ6,25)、それ以上のものに向かう熱意を失ってしまっている。わたしたちは、すべてを持ち、もはや心に何も感じない、飽食的社会にいる。熱意の欠如が、悲しみと無関心をもたらしている。

 ここでもう一度自分の心に目を向けてみよう。わたしの信仰の旅はどのような段階にあるだろうか。主の公現の祭日、これを自分に問い、「望み」を再び育む日としよう。そのために、「望みの学び舎」である、東方の博士たちの足取りから学んでみよう。

 まず、東方の博士たちは、星が出ると共に「旅立った」。それは、信仰においても、人生においても、日々、再出発することの大切さを教えてくれる。信仰は神を常に探し求める、感動的な旅である。

 そして、博士たちはエルサレムで幼子がどこにいるのかを「尋ねた」。これは神と親しく話すために、自分の心の中の問いや良心に注意深く耳を傾けることを教えてくれる。

 また、博士たちは、ヘロデのもとに帰らないことで、ヘロデに「挑戦した」。これは、人々の無関心の中で多くのヘロデたちが貧しい人や無実の人を苦しめている今日の世界で、権力の論理に負けない、正義と兄弟愛の種をまくための、勇気ある預言的な信仰が必要であることを教えている。

 こうして、博士たちは「別の道を通って」(マタイ2,12)自分たちの国に帰って行った。これは、わたしたちに新しい道を歩むことを励ましてくれる。それはすべてのものを新たにする、聖霊の創造力である。

 しかし、何よりも、東方の博士たちの旅で頂点をなすものは、目的地に到達した彼らが、「ひれ伏して幼子を拝んだ」(マタイ2,11)場面である。これは、信仰の旅は神を前にしてこそ跳躍を得ることができる、ということである。わたしたちは礼拝の素晴らしさを再発見してこそ、望みを新たにすることができる。なぜなら、神を求める心は、神を礼拝することを通してより大きくなるからである。

 東方の三博士のように、わたしたちも頭を持ち上げ、心の望みに耳を傾け、神が輝かせる星を追って行こう。絶えず追求し、神が与える驚きに心を開き続けよう。そして、夢を追い、探し求め、礼拝しよう。

06 1月 2022, 18:02