「聖霊は恐れから人を解放する」教皇、正午の祈りで
教皇フランシスコは、典礼暦で聖霊降臨を祝った5月28日(日)、レジナ・チェリの祈りを巡礼者らと共に唱えられた。
祈りの前の説教で、教皇はヨハネ福音書中の、復活の日の夕方、イエスが弟子たちに現れ、聖霊を与える場面(ヨハネ20,19-23)を取り上げられた。
教皇の説教の要旨は次のとおり。
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今日、聖霊降臨の祭日、福音は、イエスが十字架上で死んだ後、弟子たちが隠れていた高間にわたしたちを連れて行く(参照 ヨハネ20,19-23)。
イエスは復活された日の夕方、恐怖と不安の中にあった弟子たちの前に現れ、彼らに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」(同上20,22)と言われた。こうして、イエスは聖霊の賜物を通して、家の中に閉じこもっていた弟子たちを恐れから解放し、福音を証しし、宣べ伝える者とすることを望まれた。今日は、人を恐れから自由にする聖霊について考えてみよう。
弟子たちは「恐れて」(同20,19)家の戸に鍵をかけていたと、福音は伝えている。イエスの死は弟子たちを打ちのめした。彼らの夢は砕け散り、希望は消え去った。彼らは家の戸に鍵をかけた。彼らは家の中だけでなく、心の中に閉じこもったのである。
わたしたちも自分の心を閉ざしたことが、何度あっただろうか。困難な状況や、個人や家族の問題、苦しみのために、いったい何度、希望や勇気を失いかけただろうか。こうした時、わたしたちも、使徒たちのように、不安の迷路の中に閉じこもることになる。
恐れは人をしばり、麻痺させ、孤立させる。他者、外国人、自分と異なる者、自分と考え方が違う者を怖いと感じさせる。また、神にも同様の恐れを持つことがある。神は自分を罰するのではないか、自分のことを怒っているのではないか、など。こうした偽の恐れを放置すると、心や、社会、教会の扉は閉じてしまう。恐れのあるところに、閉鎖がある。
しかし、これに対し、福音は復活した主の与える特効薬、すなわち聖霊をわたしたちに示してくれる。聖霊は恐れという牢獄から人を自由にする。使徒たちは聖霊を受け取った時、高間から出て、世界へ向かい、人々の罪を赦し、福音を告げ知らせた。
聖霊は神の寄り添いを感じさせ、その愛によって恐れを追い払い、歩みを照らし、慰め、逆境の中で支える。恐れと閉ざされた心を前に祈ろう。わたしたち、教会、世界のために、新しい聖霊降臨がわたしたちを襲う恐れを振り払い、神の愛の炎をかき立てるよう
最初から聖霊に満たされた方、聖母マリアが、わたしたちのために取り次いでくださいますように。