教皇レオ14世 2025年6月22日のお告げの祈り 教皇レオ14世 2025年6月22日のお告げの祈り   (@Vatican Media)

キリストの聖体:教皇「人間の分かち合いの根源にある神との分かち合い」

教皇レオ14世は、6月22日(日)、バチカンで正午の祈りの集いを持たれた。

 教皇レオ14世は、6月22日(日)、お告げの祈りをバチカンの広場の巡礼者と共に唱えられた。

 祈りの前に教皇は、この日イタリアや日本など、世界の多くの国々の教会が記念した「キリストの聖体」の祭日をテーマに説教を行われた。

 教皇の説教の要旨は以下のとおり。

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 今日、多くの国々でキリストの御からだと御血、すなわち「キリストの聖体(コルプス・ドミニ)の祭日を祝います。そして、福音書はイエスのパンと魚の奇跡について語ります(参照 ルカ9,11b-17)。

 イエスは、ご自身の言葉に耳を傾け、いやしを求めにやってきた群衆の空腹を満たすために、使徒たちに持っているわずかなものを差し出すように招きます。そして、パンと魚を祝別し、それをすべての人に配るように命じられました。その結果は驚くべきものでした。それぞれの人が食べ物を受け取り満腹しただけでなく、さらには豊かに余ったのです(参照 ルカ9,17)。

 この奇跡は神秘的な「しるし」であるだけでなく、たとえそれがずっと小さくても分かち合えるほどに大きくなる、神の恵みを思い出させるものです。

 しかし、わたしたちはキリストの聖体の日にこの箇所全体を読みながら、より深い現実に思いをはせます。実際、人間のあらゆる分かち合いの根源には、それに先立つより大きな分かち合い、すなわち神の人間に対する分かち合いがあることをわたしたちは知っています。

 わたしたちにいのちを与えられた創造主なる神は、わたしたちを救うために、被造物の一人に母親となり、わたしたちと同じような、か弱く限界を持った死すべきからだを生むように頼み、自らを子どもとして彼女に託されました。こうして神は、わたしたちの貧しさを極限まで分かち合われました。まさにわずかなものしかお捧げできないわたしたちを贖うために、自ら仕えることを選ばれました(参照 ニコラ・カバシラス『キリストにおけるいのち』VI,3)。

 わたしたちが贈り物をする時、それが自分のできる範囲で、たとえ小さな贈り物であっても、受け取る人がそれを喜ぶのを見るのはどんなに素晴らしいことでしょう。贈り物が単純なものであっても、それがわたしたちの愛する人々との一致をより感じさせてくれるならば、どれだけうれしいことでしょうか。

 聖体において、わたしたちと神の間では、まさにこのようなことが起きるのです。主は、わたしたちが祭壇に捧げるパンとぶどう酒を、わたしたちがお捧げする生活と一緒に受け取られ、それを聖別、祝福され、キリストの御からだと御血に変え、世の救いのための愛のいけにえとしてくださるのです。

 神はわたしたちが差し出すものを喜びをもって受け取られ、神もまた同様の喜びをもって、ご自分の愛を受け取り、分かち合い、ご自身と一致されるようにと、わたしたちを招かれます。こうして、聖アウグスティヌスが言うように、「一粒の麦が集まり、唯一のパンを形作るごとく、愛の一致のうちに、キリストの唯一の体を形成する」ことができるのです(『説教』229/A,2)。

 今日の夕方、聖体行列を行います。ミサを共に祝った後、わたしたちの街の道々を、御聖体を掲げながら歩きましょう。聖歌を歌い、祈り、最後に聖マリア大聖堂の前に集い、わたしたちの家、家族、そして全人類を祝福してくださるようにと、主に祈り求めましょう。この儀式が、祭壇と聖櫃より出発し、分かち合いと慈愛のうちに、互いの一致と平和もたらす者として毎日生きるわたしたちの努力を照らすしるしとなりますように。

 

22 6月 2025, 23:14