「家族、子ども、祖父母、高齢者の聖年」のための教皇ミサ
「家族、子ども、祖父母、高齢者の聖年」が、5月30日(金)から6月1日(日)にかけて開催された。
この間、バチカンの聖ペトロ大聖堂への巡礼はもとより、ローマ市内の教会や広場を会場に、家庭のための祈りや、子どもの司牧や高齢の価値をテーマとしたカテケーシス、セミナー、コンサートなどが行われたほか、子どもたちのための遊びの場が設けられた。
たとえば、トリニタ・デイ・モンティ教会では、「家庭で喜びを生きる。マルタン家を模範に」をテーマに様々な行事が企画され、リジューの聖テレーズと、テレーズの両親、聖ルイ・マルタンと聖ゼリー・マルタン夫妻の聖遺物の崇敬が行われた。
また教皇ミサを翌日に控えた31日には、ラテランの聖ヨハネ大聖堂(サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ)の広場で前夜祭が開かれ、その中で聖母月を締めくくるロザリオの祈りがとり行われた。
そして、6月1日、バチカンの聖ペトロ広場で、教皇レオ14世によるミサが、親子、夫婦、祖父母と孫など、およそ7万人の家族たちと共に捧げられた。
ミサの説教で教皇は、イエスが最後の晩餐で祈った「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください」(ヨハネ17,21)という言葉を家族らに示された。
教皇は、イエスが祈るこの普遍的な一致、神の愛に根差した一致が、人々の間で永遠の愛の一致を実現させ、その神の愛からいのちと救いがもたらされる、と説かれた。
「すべての人は子であるが、生まれて来ることを自分で決めた人は誰もいない」という故教皇フランシスコの言葉(2025年1月1日、正午の祈り)にあるように、わたしたちは自分が望むより先にいのちを受け取った、と教皇は強調。
それだけではなく、わたしたちは生まれてすぐに、生きるために他者を必要とした。一人ではどうすることもできないわたしたちを救い、心身の世話をしたのは、他の誰かであった。このようにわたしたちは皆、自由で相互な一つの人間関係のおかげで生きている、と話された。
一方で、時にこの人間性は裏切られ、いのちを与えるためではなく奪うために、救うためではなく傷つけるために、自由が叫ばれたりすることがある、とも教皇は指摘。
しかし、敵対し、殺す悪を前にしても、イエスはわたしたちのために御父に祈り続け、その祈りは、わたしたちの傷のいやし、皆のためのゆるしと和解の告知となる、と述べられた。
そして、その主の祈りは、親、祖父母、息子や娘として、わたしたちが互いを思いやり合う、その輝く瞬間に完全な意味を与えてくれる、と語られた。
「主がわたしたちに『一つ』になることを望んでおられるように、わたしたちは家族の中で 『一つ』になるためにここにいる。異なりながらも、一つ、多数でありながらも、一つ、あらゆる状況、あらゆる人生の時において、常に一つであるためにここにいる」、これこそが世界にわたしたちが伝えたいメッセージである、と教皇は述べられた。
わたしたちがキリストという基礎の上で、このように愛し合うならば、わたしたちは、社会と世界のすべての人にとって、平和のしるしとなるだろう、と教皇は家族らを励まされた。
このミサの後半、教皇はレジナ・チェリの祈りを皆と共に歌われた。
