教育界の聖年始まる、教皇、大学生らとミサ
「教育界の聖年」の行事が、10月27日(月)から始まった。
11月1日(土)まで約1週間にわたり開催される、聖年中でも大きなものの一つであるこの祝祭では、初日の大学生のためのミサに続き、30日(木)の学生との出会い、31日(金)の教育者との集い、そして最終日の教育界の聖年のための記念ミサと、教皇レオ14世による多くの行事・儀式がバチカンで予定されている。
また、ローマ市内の多目的ホールや教会で、未来に向けて様々な教育的課題を考察する国際会議や、祈りや分かち合いなどの催しが行われる。
**********
「教育界の聖年」の初日、10月27日(月)午後、教皇レオ14世は、学生や、研究者など、教皇庁立大学において様々な立場で学問や、教育、研究に携わる人々と、バチカンの聖ペトロ大聖堂でミサを捧げられた。
ミサの開始前、レオ14世は、第二バチカン公会議公文書「キリスト教的教育に関する宣言」の発表から60年を機会に記した使徒的書簡、『新しい希望の地図を描く(仮訳)』に署名を行われた。
ミサの説教で、教皇は、「学生や研究者の人生にもたらされる恵みとは何か」と問いながら、その答えは、「多様な物事を一つの全体として見つめる眼差し、地平をとらえ、その先を見通す眼差し」であると話された。
教皇はミサ中の福音朗読箇所(ルカ13,10-17)、イエスが腰の曲がった婦人をいやすエピソードを観想。人間が自分の経験や固定観念を超えて物事を見ることができない状況を、腰が曲がり、自分に囚われ、自らを超えた先を見つめることのできないこの婦人の状態に重ねられた。
この婦人がようやく顔を上げ、今までと違うものを新しい眼差しで見つめ、希望を得ることができたのは、キリストとの出会いによっていやされたからである、と教皇は強調。
わたしたちはキリストに出会い、人生を変える力を持ったその真理に心を開くことで、自分だけに閉じこもった状態から抜け出すことができる、と話された。
学ぶ者は自らを高め、その視野と展望を広げ、下ばかりを見つめず、神へ、他者へ、いのちの神秘へと、高きを見つめる眼差しを取り戻すことができる。広い視野を得て、遠くを見通し、問題を単純化せず、疑問をも恐れず、知的な怠惰と、精神的な消耗に打ち勝つ、これこそが学生や、研究者、学者たちの恵みである、と教皇は語られた。
今日、わたしたちは現実の微細な部分に通じていても、より広く深い意味において物事を結びつける視点、すなわち総合的なビジョンを持つことが不得手である、と教皇は指摘。
それに対して、キリスト教的体験は、偏った考え方を退け、すべてを包括的に捉える視点をもって人生や現実を見つめることを教えてくれる、と述べ、今日そして明日の教会に、この統合的な視点が必要であることを忘れないようにと、大学関係者を励まされた。
