教皇レオ14世、聖年の巡礼者のための謁見 2025年10月25日 バチカン・聖ペトロ広場 教皇レオ14世、聖年の巡礼者のための謁見 2025年10月25日 バチカン・聖ペトロ広場  (@Vatican Media)

「まだ見ぬものを希望する」教皇、聖年の巡礼者への謁見で

教皇レオ14世は、10月25日(土)、聖年の巡礼者のための謁見を行われた。

 教皇レオ14世は、10月25日(土)、聖年の巡礼者のために、バチカンの聖ペトロ広場で、週末の謁見を行われた。

 この日、教皇は「希望」をテーマにした聖年のカテケーシスで、「希望を持つとは、知ることではない。ニコラウス・クザーヌス」をテーマに講話された。 

 聖書朗読に続く、教皇の講話の要旨は以下のとおり。

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聖書朗読

「わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」(ローマ8,24-25)

教皇の講話

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。そして、ようこそ。

 皆さんは巡礼の目的地に到着されました。さて、これからわたしたちはイエスの弟子として新しい世界に生きることを学ばなければなりません。今や、すべてを十字架につけられたキリストの復活の光を通して見る必要があるのです。この聖年がわたしたちを「希望の巡礼者」とするのは、まさにそのためです。この希望においてこそ、わたしたちは救われたのです。しかし、わたしたちの目は、まだこのことに慣れていません。そこで、復活されたキリストは、昇天される前に、わたしたちの眼差しを鍛えることを始められました。そして、今もなおそれを続けておられます。実際、物事は目に見えるとおりではありません。たとえ多くの対立と、多くの相反するもの同士の衝突を目の当たりにしても、勝利するのは愛なのです。

 15世紀、同様に試練の多かったその時代、教会には、今日いまだよく知られていない一人の枢機卿がいました。それは偉大な思想家、一致の奉仕者、ドイツ・クース出身の、ニコラウス・クザーヌスです。クザーヌスは、希望するとは、「知らない」ことでもあると教えてくれます。実際、聖パウロもこう記しています。「現に見ているものをだれがなお望むでしょうか」(ローマ8,24)。ニコラウス・クザーヌスの時代、対立・分裂した潮流の影響を受け、東西に分裂した教会の一致を見ることはできませんでした。キリスト教が外部からの脅威を感じていたその時代、世界の平和と諸宗教間の平和を見ることはできませんでした。しかし、ニコラウス・クザーヌスは教皇の使節として旅をしつつ、祈り、考えていました。それゆえに、彼の著作は光に満ちているのです。

 ニコラウス・クザーヌスの同時代人の多くは、恐怖の中で暮らしていました。あるいは、武装し、新たな十字軍に備える人たちもいました。これに対し、ニコラウスは若くから、希望を持つ人々、新たな学問を探求する人々、古典を読み返し原点に立ち返る人々との交際を選びました。彼は人間性を信じていたのです。彼は、相反するものを一つにまとめるべきこと、神は緊張の中に統一を見出す神秘であられることを理解していました。ニコラスは、「知らない」ということを知っていました。だからこそ、彼は現実をよりよく理解できたのです。それは教会にとってなんと偉大な恵みでしょうか。心を新たにするための、なんという呼びかけでしょうか。彼はこう教えます。心を広げ、相反するものを共に抱き、まだ見ぬものを希望するようにと。

 クザーヌスは「知ある無知」を知性の証しとして論じました。彼のいくつかの著作の主人公は、少し変わった人物、すなわち「愚か者」です。この主人公は単純で、教育を受けておらず、博識な人々に初歩的な疑問を投げかけ、彼らの確信を危機に陥らせます。

 今日の教会においても同様です。いかに多くの問いがわたしたちの教えを危機に陥れることでしょうか。若者たちの問い、貧しい人々の疑問、女性たちからの問いかけ、そして多数派とは異なるために沈黙を強いられ、非難される人々からの問題提起など。わたしたちは祝福された時代にいます。それにしてもなんと多くの問題があることでしょうか。教会が人類と共に歩み、その疑問を心に響かせるならば、教会は人類を深く知ることができるでしょう。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、希望を持つとは、知ることではありません。わたしたちはすべての問いに対し、まだ答えを持っているわけではありません。しかし、わたしたちにはイエスがおられます。イエスに従いましょう。そして、未知のものに希望を抱きましょう。相反するものを一致させる民になりましょう。復活された主の新たな世界への探検家として、奥深くへと入っていきましょう。イエスは先を歩んでくださいます。わたしたちは一歩ずつ前進しながら、学んでいくでしょう。これは教会の旅であるだけでなく、全人類の旅でもあります。それは希望の旅なのです。

26 10月 2025, 11:09

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