赤道ギニア:教皇「聖書を教会の共通の財産として共に読もう」

教皇レオ14世は、赤道ギニア訪問の最後の行事として、マラボでミサを捧げられた。

 教皇レオ14世は、4月23日、赤道ギニア訪問最終日、マラボでミサを捧げられた。

 マラボのスタジアムには3万人の信者たちが詰めかけ、特別車パパモービルで会場入りされた教皇を大歓声で迎えた。

 ミサは、リズミカルな音楽、伝統の舞踊、また荘厳な聖歌、敬虔な静けさなど、信仰の様々な表現の中で祝われた。

 教皇はミサの説教で、使徒言行録8章のフィリポとエチオピアの高官のエピソードを取り上げられた。

 エルサレムからアフリカに帰る途中、聖書を朗読していた高官に、フィリポが「読んでいることがお分かりになりますか」と尋ねると、彼はすぐ謙虚に「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と答えた。

 この高官は知識と教養を持っていたが、宦官として権力に仕える彼は完全に自由ではなかった、と教皇は指摘。

 高官が故郷アフリカへ、彼にとっては奴隷の地となっていた場所へ帰還する、まさにその時、彼が手にしていた聖書は、フィリポとの出会いによって、驚くべき実をもたらすことになった、と話された。

 高官は洗礼を受け、主イエスの名の下に新しい自由ないのちに再び生まれた。彼と同じように、わたしたちも洗礼を通してキリスト者となり、同じ光、すなわち同じ信仰を受け継ぎ、神の言葉を読むことができるようになった、と教皇は語られた。

 聖書の成立を促した聖霊に導かれ、世界中で大切に守られ広められてきた使徒伝承をもって、聖書を教会の共通の財産として共に読もう、と教皇は招かれた。

 福音の喜びがイエスに出会う人々の心と人生を満たすのに対し、教皇は、「安楽で貪欲な心、表面的な快楽の病的な探求、孤立した良心」などがもたらす「個人主義的な悲しみ」の危険に言及。

 内的生活が自分の利益だけに占められると、他者のための余地はなくなり、貧しい人々は入り込めず、神の声は聞こえなくなり、神の愛の甘美な喜びは味わえなくなる、と注意を促された。

 教皇は、赤道ギニアの教会に、イエスの最初の弟子たちの使命を喜びをもって受け継ぐように、特に、共に福音書を読む時、フィリポのように、熱心に福音を伝える者となって欲しいと願われた。

24 4月 2026, 09:47