世界召命祈願日:教皇、バチカンで10人の司祭の叙階式
典礼暦における復活節第4主日、4月26日、カトリック教会の「世界召命祈願の日」が記念された。
教皇レオ14世は、同日、バチカンの聖ペトロ大聖堂でミサを捧げられ、その中で司祭の叙階式をとり行われた。
この日、司祭に叙階されたのは10名。聖堂内には新司祭たちの家族や友人、地元の教会コミュニティのグループなど、およそ5千人の参列者が集い、式を温かく見守った。
教皇はミサの説教で、「今日はいのち満ちあふれる日曜日である。たとえわたしたちが死にとり囲まれていても、イエスの約束はすでに実現しつつある」と述べ、「わたしが来たのは、羊がいのちを受けるため、しかも豊かに受けるためである」(ヨハネ10,10)という、イエスの言葉を示された。
教皇は「司祭の奉仕とは、交わりの奉仕職」であると強調。「豊かないのち」は、御子との個人的な出会いを通してわたしたちにもたらされるが、それと同時に、すでに「神の子となる資格」(ヨハネ1,12)を経験した、あるいはそれをまだ探し求める多くの兄弟姉妹たちにわたしたちの目を開かせる、と話された。
「キリストとの絆が深まれば深まるほど、わたしたちに共通の人間性への帰属は深まる」と述べた教皇は、「天と地の間には対立も競争もない。イエスにおいて、天と地は永遠に結ばれている」と指摘。この生き生きとした神秘が招く愛は、皆さんをよい司祭とするだけでなく、誠実な、進んで奉仕できる市民、平和と社会的友愛を築く者とすることができるだろう、と説かれた。
教皇は「現実を恐れてはならない。わたしたちを招いておられるのは、いのちの主である。皆さんに託された神秘が、危険の中でさえも平安である理由を知る者の平和を伝えることができるように」と励まされた。
「今日、安全に対する欲求が人々を攻撃的にさせ、コミュニティを閉鎖的にし、敵やスケープゴート探しへと駆り立てている。恐れはしばしばわたしたちを取り囲み、おそらくそれはわたしたちの中にもひそんでいる」と述べた教皇は、「皆さんの安定が、皆さんの役職ではなく、イエスの生と死と復活、皆さんが自分に託された民と共に与る救いの歴史に基づくものであるように」と願われた。
「はっきり言っておく。わたしは羊の門である」(ヨハネ10,9)とイエスは言われた。人々と教会との断絶が統計によって浮き彫りにされているように見える今、その門を開け放ち、「フィルターではなく、水路となるように」と、教皇は新司祭たちに助言された。
「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける」(ヨハネ10,9)。イエスは、救われた人は誰でも『出入りして牧草を見つける』と言っておられるように、「イエスはわたしたちの自由を抑圧されることはない」と教皇は語られた。
「誰もが、避難できる場所と安息と世話を求めている。教会の扉は開かれている。いのちを遠ざけるためではない。いのちは小教区や、団体、運動、グループの中にだけあるのではない」と教皇は述べられた。
自分に託された人々、信徒や、家族、若者、お年寄り、子ども、病者たちが暮らす牧草地を知るようにと教皇は司祭らを招きつつ、そのための地図がないように感じる時は、良き羊飼いであるイエスの、聞き親しんだその声に耳を傾けるように、と促された。
「今日、いかに多くの人々が道に迷っていることだろうか」と述べつつ、「『主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる』(詩編23,2-3)、その御名とはイエス、「神は救う」、皆さんはその証人である」と教皇は新司祭らを勇気づけられた。
