聖金曜日:世の救いへと変容するイエスの十字架
復活祭を目前にした「聖金曜日」、4月3日、イエス・キリストの十字架上での死が記念された。
教皇レオ14世は、同日夕方、バチカンの聖ペトロ大聖堂で「主の受難の儀式」をとり行われた。
静まり返った聖堂内に教皇は行列と共に入場、中央祭壇前の床に伏し、沈黙の祈りを捧げられた。参列者らもこうべを垂れ、その祈りに一致した。
続くみことばの典礼では、第一朗読『イザヤ書』の「主のしもべの歌・第4歌」(52,13-53,12)から、主のしもべの苦難と死が、第二朗読『ヘブライ人への手紙』(4,14-16 ; 5,7-9)より、御子であるにもかかわらず、苦しみによって従順を学ばれ、永遠の救いの源となられたイエスの姿が示された。
福音朗読では『ヨハネ福音書』のイエス・キリストの受難(18,1-19,42)が三人の助祭により朗誦された。人々は、イエスの逮捕・連行から、尋問、死刑判決、十字架を背負ってのゴルゴダへの歩み、十字架につけられ、死に至るまでの出来事に思いをはせた。
教皇付説教師ロベルト・パソリーニ神父は、説教で、第一朗読の『イザヤ書』「主のしもべの歌・第4歌」を観想。
悪が襲いかかって来る時、わたしたちの本能は常に、押し返し、少なくとも互角にしようと反応する。しかし、主のしもべはこの論理に屈せず、暴力で応じることなく、すべてを受け入れるがゆえに、悪は主のしもべのもとにたどり着き、そこで止まる、とパソリーニ神父は指摘。
イエスはイザヤ書のこの歌に耳を傾けられただけではなく、それを解釈され、神なる御父の御心への完全な信頼のうちに、この歌に込められた教えを深く体現された。その結果、イエスの十字架刑は、世界を救う出来事へと変容した、と話した。
戦争、分裂、そして、あらゆる人間関係に刻まれた傷跡の中に悪が循環し続けるのは、それに報復し、増幅させようとする者を必ず見つけ出すからであるが、イエスはこの連鎖を断ち切られた、と同神父は強調。
わたしたちも、悪に報復しないことを選び、苦難の中で忍耐を保ち、暗闇がすべてを飲み込みそうな時でさえも善を信じることによって、主が世界に救いをもたらすために必要とされるしもべとなろう、と呼びかけた。
説教の後、全教会とすべての人々のために盛式共同祈願が唱えられた。
儀式の後半に入り、「十字架の崇敬」が行われた。
十字架を持った助祭が大聖堂内を祭壇に向かって歩みながら、三度立ち止まるごとに、十字架を高く掲げた。教皇と会衆はひざまずき、イエスの受難を心に深く留めながら十字架を崇敬した。
この後、中央祭壇前に立てられた十字架の前に教皇は進み出て、その前にひざまずき祈った。そして、立ち上がった教皇は磔刑のイエスに接吻された。
教皇に続いて、枢機卿らをはじめ、聖職者、修道者、信徒の代表が、それぞれ十字架を崇敬した。
教皇はこの終わりに自ら十字架を掲げて会衆に示しながら、皆を再び十字架の崇敬へと招かれた。
最後に、聖体拝領が行われ、教皇が沈黙する聖堂内から退場された後、参加者らも静かに解散した。
