「奪う手ではなく、与える手」教皇、カメルーン・ドゥアラでミサ
教皇レオ14世のカメルーン訪問は、4月17日、3日目に入った。
同日午前、教皇は首都ヤウンデから、同国西部ドゥアラに向かわれた。
リトラル州の州都ドゥアラは、ギニア湾に面したカメルーン最大の都市で、経済・貿易の中心地、交通の要地である。
教皇は、同日午前、同市のジャポマスタジアム隣接の広大な駐車場を会場に、およそ12万人の信者たちと共に、ミサを捧げられた。
ミサはカメルーンの人々の信仰の喜びと情熱に満ちたものとなった。
教皇はフランス語と英語で行われた説教で、ミサ中朗読された、ヨハネ福音書6章、イエスが五千人に食べ物を与えるエピソード(ヨハネ6,1-15)を取り上げ、全人類の救いとなる言葉として示された。
このエピソードでは、このミサに来ている多くの人々と同様に、大勢の群衆がいたが、すべての人に食べさせるには「大麦のパン五つと魚二匹」しかなかった。その時、イエスが弟子たちに向けた、この人たちに食べさせるにはどうしたらよいか、という問いは、今日、わたしたち一人ひとりに、家庭の父や母に、教会の司牧者に、社会や政治において責任を負う人々に向けられている、と教皇は話された。
キリストはこの問いを、力ある者にも弱き者にも、富める者にも貧しき者にも、若者にも老人にも投げかける。なぜなら、わたしたちは皆、等しく飢えているからである、と教皇は語った。
教皇は、この問題に対しイエス自らが与えた答えを見つめるように招かれた。イエスは「パンを取り、感謝を唱えてから、座っている人々に分け与えられた。魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた」(ヨハネ6,11)。
わずかな食物に感謝し、それを飢えているすべての人と分かち合うことで、この大きな問いに答えが与えられる。パンと魚の奇跡は、分かち合いによって起こる。パンは、皆に分け与えれば、皆に行き渡る。奪う手ではなく、与える手でパンを受け取るならば、すべての人にパンが行き渡る、と教皇は話された。
また、神の御子はパンと魚を受け取ると、まず感謝を捧げられた。イエスが御父にすべての人への祝福となる贈り物を授けてくださったことに感謝していることに教皇は注目された。
イエスの奇跡は、愛の証しであり、それは、神がいのちのパンで人類を養うだけでなく、平和、自由、正義を渇望するすべての人々に、わたしたちがいかにこの糧を届けることができるかをも示していると、教皇は指摘された。
体を養う食物は、それだけでは十分ではなく、魂を養う慈愛と結び合わされるべきであると教皇は述べ、それこそがわたしたちの良心を養い、怖れや苦しみという暗い闇の中で、わたしたちを支えることができるのである、と話された。
そして、この食物とはキリストであり、キリストは教会を豊かに養い、ご自身の体である教会と共に歩むわたしたちをいつも力づけてくださる、と説かれた。
教皇は特に若者たちに向けて、イエスの兄弟姉妹として、信仰、粘り強さ、友情を通してその才能を何倍にも増やすように、他者にいのちの糧を自らすすんでもたらす顔、手となるようにと呼びかけられた。
「皆さんの民は、この地以上に豊かであることを忘れないでください。その宝は信仰、家族、もてなし、勤勉といった価値観にあるからです」と述べた教皇は、カメルーンの未来を担う若者たちを励まされた。
