検索

レオ14世「地上に武器の火ではなく、愛の火を」

教皇レオ14世は、ローマ近郊アルバーノ・ラツィアーレの「ロトンダの聖母巡礼聖堂」で、アルバーノ教区のカリタスで支援を受ける人々と共に、ミサを捧げられた。

 教皇レオ14世は、8月17日(日)、ローマ近郊アルバーノ・ラツィアーレの「ロトンダの聖母巡礼聖堂(サンタ・マリア・デッラ・ロトンダ)」でミサを捧げられた。

 このミサには、アルバーノ教区のカリタスで支援を受ける貧しい人々と、同カリタスのスタッフらが参列した。

 教皇離宮があるカステルガンドルフォと隣接する町、アルバーノ・ラツィアーレにレオ14世が訪れるのは、先日7月20日のアルバーノ教区司教座聖堂でのミサ以来、2度目となった。

 「ロトンダの聖母巡礼聖堂」は、「ロトンダ(円形の建物)」の名にあるとおり、紀元1世紀の円形建造物を、コンスタンティヌス1世の時代、あるいは数世紀後に、キリスト教建築に改築したもの。内部には、イコノクラスム(聖像破壊運動)時代、ギリシアの修道女たちによってもたらされたという聖母子のイコンが保管されている。

 信者らの熱心な歓迎を受けながら同巡礼聖堂に到着された教皇は、聖堂前廊に展示された、アルバーノ教区カリタスの活動を伝える写真の数々を説明と共にご覧になった。

 教皇はミサの説教で、日曜日にミサのために一緒に集い、真の兄弟として互いに見つめ合い、距離を縮め合うことの喜びを表明。主の復活の日である日曜日、死に打ち勝たれたイエスと共に、わたしたちもすでに死に勝利し始めている、と話された。

 円形をした古いこの巡礼聖堂で、わたしたちは神の懐に抱かれたように感じている、と教皇は述べ、教会の外は、人間のあらゆる現実と同様、荒々しく困難に満ちているように見えても、教会の敷居をまたぎ、そこで歓迎される時、わたしたちの貧しさや弱さはようやく神の優しい無条件の愛の力に包まれる、と語られた。

 「イエスの母、マリアは、わたしたちにとって、神の母性のしるし、先取りである」と述べつつ、教皇は、「マリアにおいてわたしたちは、世俗の力によらず、愛徳によって生まれ、新たにされる母なる教会となることができる」と説かれた。

 この世はわたしたちに、平和を気楽さと、善を安穏と取り違えることに慣れさせてしまう、と話しながら、教皇はこの日の福音朗読中の「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。 その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか」(ルカ12,49)というイエスの言葉を観想。

 気楽でいるためにリスクを負わないようにと言う人がいる一方、イエスはわたしたち人類の奥深くに、勇気をもって完全に入られ、「受けねばならない洗礼」(ルカ12,50)、すなわち、十字架の洗礼を受けられた、と話された。

 それは、自分たちのためだけに生きることをやめ、地上に武器の火ではなく、愛の火を投ずるための選択であり、その愛の火とは、身を低くして仕え、無関心に思いやりを、傲慢に温和さをもって対抗するものであり、武装のための費用を必要とせず、無償で世界を刷新するものである、と教皇は語られた。

 教皇は、「わたしたちは主の教会、貧しい人々の教会である。すべての人は尊く、皆が主役であり、一人ひとりが伝えるべき神からの特別な言葉を持っている。塀を打ち壊そう」と呼びかけられた。

 「わたしたちはキリストの体、神の教会である」と教皇は強調され、イエスの貧しさを自らの人生に刻んだ人たちを排除する偏見、臆病、恐れを、イエスが投じた火が焼き尽くす時、それは実現されることになる、と話された。

 「主をわたしたちの教会、家、生活から追い出さないようにしよう。貧しい人々を通して主をお招きしよう。そして、気楽さと安泰を何が何でも求めようとして、恐れ、拒絶する、わたしたち自身の貧しさとも和解しよう」と、教皇は皆を励まされた。

 このミサに続き、同日正午、教皇はカステルガンドルフォの教皇宮殿前で、お告げの祈りを広場に集った信者と共に唱えられた。

 続いて、教皇は、離宮庭園内の「ボルゴ・ラウダート・シ」に設けられたテントの下で、ミサに参加した貧しい人々と昼食を共にされた。

17 8月 2025, 20:03