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教皇レオ14世 2025年9月21日のお告げの祈り 教皇レオ14世 2025年9月21日のお告げの祈り  (@VATICAN MEDIA)

教皇「神から託された賜物を兄弟愛に満ちた世界の構築のために」

教皇レオ14世は、9月21日、バチカンで日曜正午の祈りの集いを持たれた。

 教皇レオ14世は、9月21日(日)、バチカンでお告げの祈りを巡礼者と共に唱えられた。

 典礼暦・年間第25主日、教皇は祈りに先立ち、この日の福音朗読箇所、「不正な管理人」のたとえ(ルカ16,1-13)を取り上げ、説教を行われた。

 教皇の説教の要旨は次のとおり。

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 今日の福音で耳を傾けるたとえ(ルカ16,1-13)は、物的な富の使い方について、そしてより広い意味で、自分のいのちという、最も貴重な財産をわたしたちはいかに管理しているかについて考えさせるものです。

 たとえの中で、管理人が主人から「報告する」よう呼びつけられる場面があります。このイメージはわたしたちに重要な何かを伝えるものです。それは、わたしたちのいのちも、享受している財産も、自分のものではないということです。すべては主から与えられた賜物なのです。主はこの財産を、わたしたちの世話、自由、責任に委ねられました。いつの日か、わたしたちは自分自身、自分の財産、そして地球の資源を、どのように管理してきたか、神の御前で、そして人々、社会、特に次世代の人たちの前で、それを報告するように求められることでしょう。

 たとえの管理人は、単に自分のもうけを追い求めていましたが、その責任を問われる日が訪れ、管理の仕事を取り上げられそうになった時、将来どうすべきかを考えざるを得なくなりました。彼はこの困難な状況の中で、物質的な富を蓄えることが最も重要な価値ではないと理解します。なぜなら、この世の富は過ぎ去るからです。すると、彼に素晴らしいアイデアが浮かびました。それは、主人に借りのある者を呼び出し、彼らの債務を減らし、それによって自分が受け取るはずであった部分を断念することでした。そうすることで、物質的な富は失っても、自分を助け支えてくれる友人を得ることができる、というものでした。

 このたとえを引きながら、イエスはわたしたちにこのように勧めます。「不正にまみれた富で友達を作りなさい。 そうしておけば、金がなくなったとき、 あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる」(ルカ16,9)。

 実際、このたとえの管理人は、この世の不正な富を管理しながらも、自身のエゴイズムの孤独から抜け出し、友を作る方法を見出すことができました。キリストの弟子として福音の光のもとに生きるわたしたちも、この世の富と自分の人生を、真の富、すなわち主と兄弟たちとの友情を念頭に置きながら用いなくてはなりません。

 親愛なる皆さん、このたとえはわれわれに問いかけます。神から託された物的な財産、地球の資源、そして自分自身の命を、わたしたちはどのように管理しているでしょうか。エゴイズムの論理に従い、富を最優先にし、自分だけを考えることもできるでしょう。しかし、それはわたしたちを他者から孤立させ、しばしば紛争を生む競争という毒をまき散らすことになります。あるいは、わたしたちが所有するすべてのものを、神からいただいた管理すべき贈り物として認識し、友情と連帯のネットワークを築き、善を育み、より公正で公平な、兄弟愛に満ちた世界を構築するために、それを分かち合いの手段として活用することもできます。

 わたしたちが主から託されたものを、正義と責任をもってよく管理できるよう、聖母マリアに取り成しと助けを祈りましょう。

 

21 9月 2025, 21:43

お告げの祈り(アンジェルスの祈り)は、神の御子の受肉の永遠の神秘を思い起こす祈りです。この祈りは、朝の6時、正午、夕方18時頃の3回唱えられ、その時には、お告げの鐘が鳴らされます。アンジェルスの祈りと呼ばれるのは、ラテン語におけるこの祈りの冒頭の部分、– Angelus Domini nuntiavit Mariae – から採られています。この祈りは、イエス・キリストの受肉について語る3つの簡潔な本文と、3回のアヴェ・マリアの祈りからなります。お告げの祈りは、教皇によって、バチカンの聖ペトロ広場で、日曜日とカトリック典礼暦の祭日の正午に唱えられます。祈りの前に、教皇はその日の聖書朗読箇所などを観想する短い説教を行います、祈りの後には、巡礼者たちへの挨拶が続きます。
復活祭から聖霊降臨までは、お告げの祈りの代わりにアレルヤの祈りが唱えられます。これはイエス・キリストの復活を思い起こす祈りで、祈りの終わりには栄唱(グロリア)を3回唱えます。

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