映画『長崎-閃光の影で-』バチカンで上映会
映画『長崎-閃光の影で-』の上映会が、10月31日、松本准平監督出席のもと、バチカンのフィルモテーカで行われた。
『長崎-閃光の影で-』(松本准平監督・共同脚本)は、日本で今年7月25日に長崎県内で先行公開され、8月1日に全国公開された作品。海外での上映としては、今回のバチカンでの上映会が初めてとなった。
また、同作は、日本カトリック司教協議会の初の推薦作品である。
同作品は、『閃光の影で-原爆被爆者救護赤十字看護婦の手記』を原案に、被爆した長崎の現実を、スミ、アツ子、ミサヲの3人看護学生の立場と視点から描いている。
戦時下の緊張を生きながらもそれぞれの家族や淡い未来像を抱いていた3人は、原爆が投下された8月9日を境に、「新型爆弾」によりすべてが一変した未知の世界に放り出される。想像を絶する事態を前に茫然自失し、その非現実的な状況に圧倒されながらも、3人は看護学生として葛藤や不安、重い苦しみの中で自らを律し、赤十字に次々運ばれてくる負傷者のために、当時の限られた条件の中で奔走する。
この究極の状況を背景に、3人の主人公とまわりの登場人物の言動から、戦争と原爆に対する怒り、人々の強さと脆さ、憎しみとゆるし、不信と信頼、罪の意識と清く崇高なものへの渇望、そして、信仰、希望、愛、平和、いのち、再生といったテーマが浮かび上がっていく。
上映前の挨拶で、千葉明・駐バチカン日本国特命全権大使は、核兵器が人類の頭上に投下されてから80年の年に、この上映会に関わることができた意味に言及した。
当時、呉にいて広島への原爆投下の閃光と巨大なキノコ雲を目撃し、そしてその後被爆者たちの姿を目にした自身の父親から話を聞き、自分が直接体験したかのように感じていた、と述べた大使は、過ちを二度と繰り返さないというメッセージを未来の世代に伝えるために、直接的な証言がいかに重要かを指摘した。
「教育界の聖年」にローマを訪問すると共に、同上映会に出席した大阪高松教区補佐司教・酒井俊弘司教は、この作品を推薦する日本カトリック司教協議会を代表し言葉を述べた。
長崎のカトリックの家庭に生まれ、幼児洗礼を受け、被爆者の祖父を持つ被爆三世である松本監督は、かつて自身が教師とチャプレンを務めていた学校の卒業生でもある、と紹介した酒井司教は、同監督が家族のルーツと、受け継いだ信仰、青少年期に受けたカトリック教育という三つの要素と向き合う中でこの映画が誕生したと話した。3人の主人公の対話に見られる憎しみ、絶望、そして、それでもなおゆるしを求める心は、極限状況における人間の魂の叫びである、と述べた同司教は、絶望の中に立ち止まらず、憎しみの連鎖を断ち切るために、信仰は「ゆるし」の道を示している、と語った。
松本准平監督は、上映への導入の言葉で、長崎はキリスト教と縁が深い街であるが、80年前、原子爆弾は最もカトリック信者が多い地域の上空で炸裂し、当時東洋一であった浦上天主堂は破壊され、多くのカトリック信者が犠牲になった、と説明。
自身をこの作品に導いたものは幼少期から大切に受け取ったイエスの愛の教えと、ふるさとに遺されていた核兵器の傷跡であり、「主の呼びかけ」と「惨めな現実」の狭間で、祈ることを教えられた、と話した。
自分にとってこの作品は祈りである、と述べた同監督は、争いの絶えない現代世界において、また米国大統領による核実験再開の指示という悲しいニュースが伝えられる今日、できるならば、この作品が平和の道具となり、多くの人々の平和の祈りと重なり、響きあうことを強く願う、と希望した。
松本監督は、自身の洗礼名の聖人である聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父に触れ、アウシュビッツで隣人への強烈な愛を示し、殉教を遂げたコルベ神父は、愛とゆるしこそがわたしたちのいのちであることを教えてくれたのであり、この映画の主人公はコルベ神父のように、まさにそのいのちのわざに献身した看護婦たちである、と語り、世界の平和といやしのために、コルベ神父と彼が敬愛してやまなかった聖母に取り次ぎを願い求めたい、と述べた。
『長崎-閃光の影で-』の上映後、フリートークの時間があり、観客らはそれぞれの感動や印象を語ると共に、原爆に対する認識を深める必要を示していた。
