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レバノン:教皇、聖シャーベル・マクルーフの墓前で祈る

レバノン訪問中の教皇レオ14世は、同国の聖人、聖シャーベル・マクルーフの墓へ巡礼を行われた。

 教皇レオ14世は、12月1日、レバノン訪問2日目午前、同国の人々に深く崇敬される聖人、聖シャーベル・マクルーフ司祭の墓を訪ねられた。

 聖シャーベルが隠修士の生活をおくったアンナヤの聖マロン修道院は、首都ベイルートから40キロの奥深い山中にある。

 レオ14世が特別車パパモービルで向かった険しい登り坂には、あいにくの雨と冷え込みにも関わらず、教皇を歓迎する人々の列が山頂の修道院まで絶え間なく続いた。

 聖シャーベル・マクルーフ(1828-1898)は、3歳で父を亡くし、叔父に預けられた。年少にしてすでに隠遁生活に強く惹かれていたが、家族を支えるため、10歳から羊飼いとして働き、時間を見つけては洞窟の中で祈っていた。23歳でメイフークの聖母の修道院で修道生活を始め、1859年、レバノンのマロン修道会に属する司祭となった。アンナヤの修道院で15年間過ごした後、許可を得て聖ペトロ聖パウロ隠遁所に入り、そこで、隠修士としての戒律を厳しく守り、主への奉仕に専念しながら23年間暮らした。1898年12月16日、ミサの最中に発作が起き、8日間の苦しみの後、12月24日に亡くなった。帰天から間もなく、彼の墓で祈る者たちに、病の癒しなど、次々に多くの奇跡が起きた。教皇パウロ6世によって、第二バチカン公会議中の1965年12月5日に列福され、そして同教皇より、1977年10月9日に列聖された。

 聖マロン修道院に到着された教皇は、入口で修道院長らに、中庭でアウン大統領に迎えられ、聖シャーベル・マクルーフの墓がある洞窟に入られた。

 教皇は、聖シャーベルの墓前でひざまずき、沈黙の祈りを捧げた後、ランプの火を捧げられた。

 レオ14世は、洞窟の中で述べた挨拶で、聖シャーベルの墓に巡礼することができた恵みを神に感謝され、自身の先任教皇たち、特に隠修士シャーベルを列福・列聖した聖パウロ6世は、この訪問を強く望んでいただろう、と話された。

 今日、聖シャーベルはわれわれに何を教えているのか。何も書かず、隠れて沈黙のうちに生きたにもかかわらず、名声が世界に広まったこの人物が遺したものは何だろうか、と教皇は問いを投げかけた。

 教皇は、聖霊が彼を形作った、と述べ、それは、神なしで生きる者には祈りを、喧騒の中で生きる者には沈黙を、見栄を張る者に謙虚さを、富を求める者に貧しさを教えるためであった、と語られた。これらの態度はすべてこの世に逆行するがゆえに、わたしたちは砂漠を行く者にとっての清らかな水のように、それに惹きつけられる、と話された。

 また、教皇は聖シャーベルのもうひとつの決定的な側面として、彼があらゆる善と恵みの源である天の御父のもとで、わたしたちのために執り成しを絶やすことがないためである、と指摘。この世にいた時にすでに、多くの人々が主からの慰め、赦し、助言を得るために彼のところへ訪れていたが、彼の死後、このような恵みはさらに増え、それはいつくしみの川のように溢れ出た、とレオ14世は語った。

 聖シャーベルの取り次ぎに、教会、レバノン、そして世界が必要とするものを委ねたいと述べた教皇は、教会のために交わりと一致を、世界、特にレバノンとレバント地方全体に平和と回心の賜物を祈られた。

 教皇は、ご自身が捧げたランプの火は主が聖シャーベルの心に灯した光を象徴するもの、と話しつつ、レバノンとその国民を聖シャーベルの保護に委ね、人々が常にキリストの光の中を歩むことができるようにと祈られた。

01 12月 2025, 16:10