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「平和実現のため天に錨を下ろす」教皇、レバノンの教会関係者に

レバノン訪問中の教皇レオ14世は、ハリッサのレバノンの聖母巡礼聖堂で、同国の教会関係者らとお会いになった。

 教皇レオ14世は、レバノン訪問2日目、12月1日午前、ハリッサのレバノンの聖母巡礼聖堂で、同国のカトリック教会関係者らとの出会いを持たれた。

 首都ベイルートからおよそ20km、ジュニエ湾を見下ろす小高い丘の上にあるレバノンの聖母巡礼聖堂は、「無原罪の御宿り」が、1854年、教皇ピオ9世により正式に信仰箇条として宣言されてから50年を記念し、1904年に建設を開始、1908年に完成した。石造りの塔の上に立つ白い聖母像は高さ8.5m。中東における有数の巡礼地として多くの巡礼者たちが集まる。1993年には新しいバシリカが建てられた。

 このバシリカで行われた教皇との出会いには、レバノン国内の司教、司祭、修道者、司牧活動に携わる信徒らが集った。

 ここでは教皇の前で立場の異なる4人の教会関係者の証言が行われた。

 シリア国境の小教区の主任司祭は、シリアの内戦以来、レバノンの信者が経験する困難と恐怖のみならず、迫害され母国から越境したシリア難民の信者たちの隠れた窮状と苦しみを語った。

 フィリピンから移民し、家政婦として働く女性の信者は、戦争で行き場を失う多くの移民たちの状態を代弁し、移民は単なる「労働者」ではなく、国を共に築く「協力者」であると話した。

 一人の修道女は、イスラム教徒の多い町で、緊張と困難に見舞われながらも、常に皆を愛し、共存を保ち、爆撃の危険の下でも、区別なく人々を受け入れ、祈り、パンを分かち合っていく中で、愛と、信仰、希望に強められていったと証言した。

 レバノンの刑務所付き司祭は、困難な環境の中の司牧に試練を感じていたが、ある日、一人の受刑者から「あなた方がここまで来てくれたということは、自分は神から見捨てられていないということだ」という言葉を聞き、「わたしが牢にいたときに訪ねてくれた」(マタイ25,36)というイエスの言葉に照らされ、人を変えるためではなく、愛するために神から遣わされたという使命を自覚したと語った。

 代表者たちのこれらの証言に耳を傾けられた教皇は、「平和を実現する人々は、幸いである」(マタイ5,9)という、ご自身のレバノン訪問のモットーと共に、「今日のレバノンにおいて、皆さんは希望の責任者です」、「どこに暮らし、どこで働いていても、兄弟愛に満ちた環境を生み出しましょう。自覚のもとに、他者を信頼し、創造性を発揮し、赦しといつくしみの再生の力を花咲かせましょう」という聖ヨハネ・パウロ2世の言葉(「レバノンの人々へのメッセージ」1984.5.1)を掲げられた。

 同時にレオ14世は、この訪問の「ロゴ」の中にシンボルとして描かれる「錨(いかり)」に言及。「わたしたちの信仰とは、天国における錨です。わたしたちの人生は天国に錨を下ろしています」という前任のフランシスコ教皇の言葉を思い起こしつつ、たとえ最も暗い闇にあっても、信仰は常にわたしたちを天国へと導いてくれる、と話された。

 「平和の実現を願うならば、天にしっかりと錨を下ろし、過ぎ去るものを失うことを恐れずに愛し、限りなく与えよう」と教皇は励まし、「杉の木のように強く深いこの根から愛は育ち、神の助けによって、目に見える永続的な連帯の業が生まれていく」と説かれた。

 レオ14世はこのたびのハリッサの巡礼聖堂への訪問で、金のバラをレバノンの聖母像に捧げられた。

 この伝統的な行為について教皇は、その意味の一つは、わたしたちの人生を通して「キリストの香り」(参照 2コリント2,14)となるように、との勧めである、と話された。

 そして、教皇は、わたしたちがなるべき「キリストの香り」とは何かを、限られた人だけが買える高価な香りではなく、レバノンの食卓のように多様な料理が並び、皆が共に分かち合える、広々とした食卓から漂う調和のとれた香りにたとえて説明。

 こうして教皇は、日々愛において一致して生きるよう、レバノンの教会関係者の努力を励まされた。

02 12月 2025, 09:57