復活祭2026:教皇レオ14世によるメッセージと祝福
カトリック教会の典礼暦は、4月5日(日)、2026年度の復活祭を迎えた。
4月4日(土)夜、復活の聖なる徹夜祭をバチカンの聖ペトロ大聖堂で捧げられた教皇レオ14世は、5日午前、復活の主日のミサを聖ペトロ広場で司式された。
復活祭のローマは、すがすがしい青空に恵まれた。春の花々で彩られたバチカンの広場には、世界各国からおよそ5万人の巡礼者が詰めかけた。
ミサに続いて、教皇は、同日正午、聖ペトロ大聖堂の中央バルコニーから、ローマと世界に向けたメッセージと祝福「ウルビ・エト・オルビ」を行われた。
教皇は復活祭のメッセージを読み上げ、続いて、イタリア語、フランス語、英語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、ポーランド語、アラブ語、中国語、ラテン語で、復活祭のお祝いを述べられた。
そして最後に、レオ14世はローマと全世界に向けた教皇祝福をおくられた。
教皇レオ14世による2026年度復活祭メッセージは次のとおり。
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兄弟姉妹の皆さん
キリストは復活されました。主のご復活おめでとうございます。
教会は世紀にわたり、その信仰の基礎となる出来事を大きな喜びをもって歌ってきました。「死を身に受けたいのちの主は/いまや生きて治められる /主キリストは復活された/勝利の王キリストよ/いつくしみをわたしたちに」(復活の続唱)
復活は勝利です。死に対するいのちの勝利、闇に対する光の勝利、憎しみに対する愛の勝利です。しかしそれは、非常に大きい犠牲を伴う勝利でした。生ける神の子、キリスト(参照 マタイ16,16)は、不当に罪に定められ、侮辱され、拷問を受け、ご自身のすべての血を流された後、十字架上で死ななければなりませんでした。真の屠られた小羊として、世の罪を自らに負われ(参照 ヨハネ1,29、ペトロ1,18-19)、こうしてわたしたち皆を、そしてわたしたちと共に被造物をも、悪の支配から解放されたのです。
しかし、イエスはどのように勝利されたのでしょうか。イエスが、古くからの敵対者、この世の支配者(参照 ヨハネ12,31)を、完全に打ち負かした力とは何だったのでしょうか。イエスが死から復活され、以前の生活に戻ることなく、永遠のいのちに入られ、こうして自らの体を通して、この世から御父へと移る道を開かれた、その力とは何だったのでしょうか。
この力、この権能とは神ご自身、創造し生み出す愛、最後の最後まで忠実な愛、ゆるし、あがなう愛です。
わたしたちの「勝利の王」キリストは、御父の御旨、すなわち救いのご計画に完全に信頼し、身を委ねることで、ご自身の戦いに勝利されました(参照 マタイ26,42)。こうしてイエスは、言葉ではなく、行いによって、対話の道を最後まで貫かれました。迷えるわたしたちを見つけるために肉となられ、隷属するわたしたちを解放するために奴隷となられ、わたしたち人間にいのちを与えるために十字架上でいのちを捧げられました。
キリストが復活されたその力は、まったく非暴力的な力です。それは、土に落ちてふやけた一粒の麦が、成長し、土の固まりを突き抜け、芽を出し、黄金色の穂となる力に似ています。それは、侮辱によって傷ついた人間の心が、復讐の本能を拒み、憐れみに満ちて、自分を傷つけた相手のために祈ることにより似ています。
兄弟姉妹の皆さん、これこそが人類に平和をもたらす真の力です。なぜなら、それは個人、家族、社会のグループ、国家などの間で、あらゆるレベルの尊重ある関係を生み出すからです。それは特定の利益を追求せず、共通善を追求するものです。自分の計画を押し付けず、他の人々と共に計画・実現することに貢献するのです。
そうです、キリストの復活は、新しい人類の始まりです。それは、正義、自由、平和が統治する、真の約束の地への入り口です。そこでは、すべての人が互いを兄弟姉妹として、愛・いのち・光である同じ御父の子として、認め合うのです。
兄弟姉妹の皆さん、主はご自身の復活をもって、自由をめぐる状況の前にわたしたちをより力強く立たせてくださいました。空の墓の前で、わたしたちは、イエスの弟子たちのように、希望と驚きに満たされることもできます。一方で、番兵やファリサイ派の人々のように、恐れに駆られて、あの有罪判決を受けた方が本当に復活したと認めないために、嘘やごまかしに頼らざるを得なくなることもあります(参照 マタイ28,11-15)。
復活の光の中で、キリストに驚嘆しましょう。キリストの無限の愛によって、わたしたちの心を変えていただきましょう。武器を持つ人は、それを置いてください。戦争を起こす力を持つ人は、平和を選んでください。力で追求する平和ではなく、対話による平和を。他者を支配する欲望によらない、出会いによる平和を。
わたしたちは暴力に慣れつつあります。それに対してあきらめを感じ、無関心になりつつあります。多くの人々の死に、無関心になっています。紛争がまき散らす憎しみと分裂の再発に無関心です。紛争が生み出す経済的、社会的な影響、皆が感じているはずのその影響にも無関心です。「無関心のグローバル化」がますます顕著になっています。これは、教皇フランシスコがよく用いられた表現です。故教皇が1年前、このロッジァから世界に向けて述べた、最後の言葉を思い起こしましょう。「世界各地の様々な紛争の中で、どれほど多くの死が望まれていることでしょうか」(ウルビ・エト・オルビ・メッセージ、2025年4月20日)。
キリストの十字架は、死を取り巻く苦しみと痛み、そして死がもたらす苦悩をわたしたちにいつも思い出させます。わたしたちは皆、死を恐れ、その恐怖から目を背け、見ないでいようとします。わたしたちは無関心であり続けることはできません。そして、悪を前にあきらめることもできません。聖アウグスティヌスはこう教えます。「死を恐れるなら、復活を愛しなさい」(説教124、4)と。わたしたちも復活を愛しましょう。復活は、悪が勝利しないことを思い出させてくれます。悪は、復活された方によって打ち負かされたからです。
イエスはわたしたちにいのちと平和をお与えになるために、死を通られました。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのでない」(ヨハネ14,27)。イエスがわたしたちに与えてくださる平和は、単に武器を鎮めるだけの平和ではなく、わたしたち一人ひとりの心に触れ、心を変える平和です。キリストの平和へと回心しましょう。心から湧き上がる平和への叫びを、世界に届けましょう。そのためにも、来週4月11日(土)、ここ聖ペトロ広場で開催する平和のための祈りの集いに、一致してくださるようお招きいたします。
この祝祭の日、争い、支配、権力へのあらゆる欲望を捨て、戦争によって荒廃し、悪を前に無力を感じさせる、憎しみと無関心が広がるこの世界に、主がご自身の平和を与えてくださるよう祈り求めましょう。苦しみを抱え、主だけが与えることができる平和を待ち望むすべての人を主に託しましょう。主を信頼し、主に心を開きましょう。主だけが、万物を新しくすることがおできになるのです(参照 黙示録21,5)。
主のご復活のお喜びを申し上げます。
