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聖木曜日:イエスから相互の奉仕を学ぶ、教皇による主の晩さんの夕べのミサ

教皇レオ14世は、「聖木曜日」午後、ローマ市内のラテランの聖ヨハネ大聖堂で「主の晩さんの夕べのミサ」を捧げられた。

 4月2日、「聖木曜日」午後、教会の暦は、主の受難と復活からなる「聖なる過越の三日間」に入り、復活祭に向けて典礼は一年の頂点を迎えた。

 教皇レオ14世は、ローマ教区の司教座聖堂、ラテランの聖ヨハネ(サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ)大聖堂で「主の晩さんの夕べのミサ」を捧げられた。

 このミサは、キリストが十字架上での受難を前にした最後の晩さんにおいて、聖体とミサ聖祭、司祭職を制定したことを記念する。

 また、このミサの中で伝統として行われる「洗足式」は、キリストが最後の晩さんの前に弟子たちの足を洗われ、それを通して、互いに愛し合い、奉仕し合うことを、自らが模範として示されたことを思い起こすものである。

 教皇は説教で、この夕べの厳かな典礼は、主の受難、死、そして復活という、聖なる三日間へとわたしたちを導くもの、と述べ、パンとぶどう酒が救いの秘跡となったこの晩さんに、傍観者としてではなく、イエスご自身に特別な形で引き入れられた者として、自覚をもって入るように招かれた。

 「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(ヨハネ13,1)キリストの宴にわたしたちは与っている、と教皇は述べながら、「キリストの愛は、神の正義を示しつつ、すべての人のしるしとなり、糧となる。まさに悪が猛威を振るうこの世界でこそ、イエスはご自身のすべてをもって、永遠に、決定的に愛される」と話された。

 この最後の晩餐の席で、イエスは使徒たちの足を洗い、「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように」と言われた(ヨハネ13,15)。しかし、「わたしたちは、受難の神ではなく、成功の神を体系的に求めている」という教皇ベネディクト16世の言葉が表すように、わたしたちは、自分たちに仕えてくれる神、自分たちを勝利に導く神、お金や権力のように役に立つ神を求めようとする誘惑を常に持っていると、レオ14世は指摘された。

 しかし、主は、愛ゆえに、今ひざまずき人を洗おうとされている。そして、この神からの贈り物こそがわたしたちを変容させる、と教皇は説かれた。

 イエスからこの相互の奉仕を学ぶよう招く教皇は、「あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない」(ヨハネ13,14)とイエスが言われたように、イエスはわたしたちに、ご自分にそれを返すことではなく、わたしたち同士でそれを分かち合うことを求めておられる、と強調。

 多くの残忍な行為に屈する人類の前で、わたしたちもまた、抑圧された人々の兄弟姉妹としてひざまずき、真の兄弟愛をもって、イエスの模範に従うようにと呼びかけられた。

 説教に続いて、「洗足式」が行われた。

 レオ14世は、昨年6月27日にご自身がミサの中で叙階したローマ教区の司祭たち11人と教皇庁立ローマ大神学院の霊的指導責任者である司祭からなる12人の足を、身をかがめながら一人ずつ洗い、その足を布で拭いて、接吻された。

 ミサの終わりには、「聖体安置式」が行われた。

 教皇は祭壇前にひざまずき、聖別された聖体に献香し、その前で沈黙のうちに祈られた。

 この後、教皇は司祭たちの行列と共に、聖体を仮の安置所としての聖フランシスコ礼拝堂へと運ばれた。教皇は安置された聖体を前に再びひざまずき、献香され、その前で長い沈黙の祈りを捧げられた。

 ミサ終了後も、多くの信者たちが礼拝堂前にとどまり、聖体の前で祈り続けた。

 

03 4月 2026, 10:24