「主の昇天」の神秘を観想、教皇、日曜正午の祈りで
教皇レオ14世は、5月17日(日)正午、バチカンの広場に集った巡礼者らと、レジーナ・チェリの祈り(アレルヤの祈り)を唱えられた。
教会暦では、この日は多くの国々で「主の昇天」の祭日が祝われた。
レオ14世は祈りの前の説教で、「主の昇天」を、遠く離れた出来事ではなく、「わたしたちをも、イエスとともに、御父との完全な交わりへと引き寄せる」出来事として観想された。
教皇の説教は以下の通り。
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親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんにちは。
今日、世界の多くの国々では主の昇天の祭日が祝われます。
地上から上げられ、天に昇るイエスの姿は ― 聖書の記事が述べるとおり(使1・1-11参照) ―、この神秘を遠く離れた出来事のように感じさせるかもしれません。事実はそうではありません。実際、わたしたちは、一つのからだにおける部分として、頭であるイエスと一つに結ばれています。ですからイエスの昇天は、わたしたちをも、イエスとともに、御父との完全な交わりへと引き寄せます。聖アウグスティヌスはこう述べます。「頭の前進は、からだの部分の希望である」(『説教265』[Sermo 265, 1.2])。
キリストの生涯全体は上昇の運動です。この運動は、キリストの人間性を通して、世界全体を包み、巻き込みながら、人間を罪の状態から引き上げてあがない、暗闇と不正と絶望のあるところに光とゆるしと希望をもたらします。それは、過越の決定的な勝利に達するためです。そのとき神の子は「死を打ち砕き、復活をもってわたしたちにいのちをお与えになりました」(「叙唱 復活一」)。
ですから、昇天は、遠く離れた約束ではなく、生きたきずなについてわたしたちに語ります。このきずなは、わたしたちをも天の栄光へと引き寄せ、すでに地上の生活においてわたしたちの地平を広げ、高め、わたしたちの考え方、感じ方、行動の仕方を、神のみ心の基準へとますます近づけます。
わたしたちはこの上昇の歩みの道を知っています(ヨハ14・1-6参照)。わたしたちはそれを、イエスと、そのいのちのたまものと、模範と、教えのうちに見いだします。わたしたちはまた、おとめマリアと諸聖人のうちにその道しるべを見いだします。教会は彼らを普遍的な模範としてわたしたちに示します。彼らは、教皇フランシスコがしばしばそう呼んだように、わたしたちが日常生活の中でともに暮らす、「身近な」(使徒的勧告『喜びに喜べ』7[Gaudete et exsultate])人々、すなわち、父親、母親、祖父母、すべての年齢と境遇の人々です。喜びと献身をもって福音に従って真摯に生きようと努力する人々です。
この人々とともに、また彼らの支えと祈りによって、わたしたちも日々、天に向かって昇ることを学ぶことができます。聖パウロが述べるとおり、「すべて真実なこと、〔……〕すべて正しいこと、〔……〕すべて愛すべきこと」(フィリ4・8)を自分の思いの対象とし、神の助けによって「聞いたこと、見たこと」(9節)を実践しながら。こうしてわたしたちは、わたしたちのうちで、またわたしたちの周りで、洗礼で与えられた神のいのちを成長させていきます。そしてこの神のいのちは、わたしたちをたえずいと高きところへ、御父へと引き寄せ、世において交わりと平和の尊い実りを広げます。
天の元后であるマリアがわたしたちを助け、どんなときにもわたしたちの歩みを照らし、導いてくださいますように。
(カトリック中央協議会訳)