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カンタラメッサ枢機卿の小さな黙想・第5回

教皇付き説教師カンタラメッサ枢機卿の、四旬節を機会とした小さな黙想の第5回目をおおくりする。

 教皇付き説教師ラニエーロ・カンタラメッサ枢機卿が、四旬節にあたり、バチカン・ニュースのために準備した6つの小さな黙想の中から、今回はその第5回目を紹介する。

 カンタラメッサ枢機卿はここで「徴税人ザアカイ」のエピソード(ルカ19,1-10)を取り上げ、イエスが木の上にいたザアカイにかけた「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日はぜひあなたの家に泊まりたい」という言葉を観想するよう招いている。

 ルカ福音書19章に登場するザアカイは、徴税人の頭で、金持ちであった。彼はエリコの町を通るイエスを一目見たいと思ったが、群衆に遮られて見えなかったため、木の上に登っていた。その場所を通りかかったイエスは上を見上げ、「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日はぜひあなたの家に泊まりたい」と言われた。ザアカイは急いで降りて、喜んでイエスを迎え、財産の半分を貧しい人々に施すと言った。イエスは「今日、救いがこの家を訪れた」と言われた。

 カンタラメッサ枢機卿の小さな黙想・第5回目の内容は次のとおり。

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 わたしたちと今日一日を共にする言葉、それはイエスを見るためにいちじく桑の木の上に登ったザアカイにイエスがかけた言葉です。そこを通りながらイエスは見上げて言われました。それは、叱る口調ではなく、招く口調でした。「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日はぜひあなたの家に泊まりたい」(ルカ19,5)。ザアカイ、わたしは言う、わたしの言葉を聞きなさい。ぜひあなたの家に泊まりたいのだ。

 この言葉はわれわれにとって、「あなたの生活に親密に関わりたい。群衆の間や、広場や、教会の中で会うだけでは十分でない」という意味です。

 これは教皇フランシスコの『福音の喜び』の冒頭の招きを思い出させます。「わたしはすべてのキリスト者に、どのような場、状況にあっても、今この瞬間、イエス・キリストとの人格的な出会いを新たにするよう呼びかけたいと思います。少なくともイエスとの出会いを妨げないよう、日々努力することを勧めます」(福音の喜び、3)。

 このキリストとの人格的な出会いとは、何によって成り立つのでしょうか。それは、何年も写真だけで知っていた人と、実際に出会うようなものです。人の間で起きることが、この違いを理解することを助けてくれるでしょう。それは、ある人を単に知っている状態から、その人を深く愛する状態に移る時です。

 あなたが若い男性、若い女性ならば、これを誰よりもよく理解できるでしょう。深く愛することだけが、人生を本当に変えることができるのです。それは自然の愛においても、精神の愛においてもです。そして、イエスは、決して失望させることのない愛の対象なのです。

01 3月 2024, 13:03